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設立趣意書

いまや戦後三十年を経過しましたが、終戦当時を顧みるとき、荒廃した狭い四つの島に世界的にみてもきわめて高位の人口密度を擁して、今後日本国民は一体どうして生存していけばよいのかと、誰しも非常な不安にかられたものであります。

しかしながら、以来、国民の営々たる努力と、適切な政治と、国際協力のもとに、わが国は復興し、高度成長をなしとげ、今日押しも押されもせぬ世界の日本として発展してきたのであります。

この偉大な発展の大きな支えとなってきたものは、いわゆる技術革新に代表される学術振興にあったことは、何人も否定し得ない事実であります。

今日、わが国はもとより世界をあげて、まさに歴史的な転換期を迎えております。

政治、経済、そして国民生活のあらゆる面において、かってない深刻な事態に直面しております。当面の最大の問題として、よくエネルギーおよび資源問題が取り上げられますが、それだけではなく、人口、食糧、土地などの基本的な問題から、都市化、住宅、水不足、輸送や近年とみに関心の高まってきた環境問題など、真剣に取り組み、その解決をはからなければならない重要問題が山積しております。

これらはいずれも、総合的な学術振興なくしては満足な解決の困難な問題であることは、いまさら贅言(ぜいげん)を要しないところであります。

昭和50年12月3日物故いたしました私の亡夫、元国務大臣、鹿島建設株式会社会長、法学博士 鹿島守之助は、その晩年よく「運命の神は私に全く異なる三つの事業の遂行を課した」といっておりましたが、それは学者としての活動と、企業経営者としての活動と、政治活動との三つの分野を指しております。そして「今の世の毀誉褒貶(きよほうへん)を超越した未来のいつの日にか、私は義務を果たした男だといわれたい」との、西ドイツ宰相コンラッド・アデナウアーの言葉をいつも引用して、己が義務の遂行にその生涯を捧げたのであります。

幸いにして、企業経営活動と政治活動とにつきましては、いずれも、その生前から相共に協力してきたよき後継者があり、心残りはなかったのでありますが、ただ学術の研究と振興に関する活動については、それが故人の生涯においても最も多大の時間とエネルギーを費やした分野であるだけに、今後なお為すべきことをいろいろ検討しておりました。その計画中であった随一の遺業が、財団法人鹿島学術振興財団の設立でありました。

財団法人鹿島学術振興財団の目的および事業は、その寄付行為に明記されているとおり、広く学術全般の向上発展に寄与するため、学術の研究に対する援助、学術の振興に対する褒賞、啓蒙活動、研究成果の発表等の諸事業を行わんとするものであります。

私ども故鹿島守之助の遺族は、故人の遺志を承け継ぎ、その遺徳を広くかつ永く伝えたいと念願し、公益性と永続性の高い故人の遺業として、ここに関係各位のご賛同を得て、財団法人鹿島学術振興財団を創設せんとする次第であります。

より豊かなすべての人類の生活、より偉大なる社会のためのニーズは、われわれに限りない創造への挑戦を求めており、学術の振興がそれを成功に導いてくれることを信じて疑いません。

そのために、本財団が些(いささ)かなりともお役に立つことができれば、この上ない幸いであります。

昭和51年3月4日
設立代表者 鹿 島 卯 女